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2005年12月29日

「はい。非常に遅くなりました」

 お母様の顔には一種の表情がある。しかし何とも仰(おっし)ゃらない。僕にはその時のお母様の顔がいつまでも忘れられなかった。僕は只「お休なさい」と云って、自分の部屋に這入った。時計を見れば三時半であった。僕はそのまま床にもぐり込んでぐっすり寐た。
 翌日朝飯を食うとき、お父様が、三輪崎とかいう男は放縦な生活をしているので、酒を飲めば、飲み明かさねば面白くないというような風ではないか、若(も)しそうなら、その男とは余り交際しない方が好かろうと仰ゃった。お母様は黙ってお出なすった。僕は、三輪崎とは気象が合わないから、親しくする積ではないと云った。実際そう思っていたのである。
 四畳半の部屋に帰ってから、昨日の事を想って見る。あれが性欲の満足であったか。恋愛の成就はあんな事に到達するに過ぎないのであるか。馬鹿々々しいと思う。それと同時に僕は意外にも悔という程のものを感じない。良心の呵責(かしゃく)という程のものを覚えない。勿論あんな処へ行くのは、悪い事だと思う。あんな処へ行こうと預期して、自分の家の閾(しきい)を越えて出掛けることがあろうとは思わない。しかしあんな処へ行き当ったのは為方がないと思う。譬(たと)えて見れば、人と喧嘩をするのは悪い事だ。喧嘩をしようと志して、外へ出ることは無い。しかし外へ出ていて、喧嘩をしなければならないようになるかも知れない。それと同じ事だと思う。それから或る不安のようなものが心の底の方に潜んでいる。それは若しや悪い病気になりはすまいかということである。喧嘩をした跡でも、日が立ってから打身(うちみ)の痛み出すことがある。女から病気を受けたら、それどころではない。子孫にまで禍(わざわい)を遺(のこ)すかも知れないなどとも思って見る。先ず翌日になって感じた心理上の変動は、こんなものであって、思ったよりは微弱であった。そのうえ、丁度空気の受けた波動が、空間の隔たるに従って微(かす)かになるように、この心理上の変動も、時間の立つに従って薄らいだ。
 それとは反対で、ここに僕の感情的生活に一つの変化が生じて来て、それが日にましはっきりして来た。何だというと、僕はこれまでは、女に対すると、何となく尻籠(しりごみ)をして、いく地なく顔が赤くなったり、詞(ことば)が縺(もつ)れたりしたものだ。それがこの時から直ったのである。こんな譬は、誰かが何処(どこ)かで、とっくに云っているだろうが、僕は騎士としてdubを受けたのである。
熟女風俗
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2005年12月28日

「まあ」

中年増は変な顔をして女を見ると、女が今度はあざやかに笑った。白い細かい歯が、行灯の明りできらめいた。中年増が僕に問うた。
「どんな味がしましたか」
「旨(うま)かった」
 中年増と女とは二たび目を見合せた。女が二たびあざやかに笑った。歯が二たび光った。土瓶の中のはお茶ではなかったと見える。僕は何を飲んだのだか、今も知らない。何かの煎薬(せんやく)であったのだろう。まさか外用薬ではなかったのだろう。
 中年増が女の櫛道具を取って片附けた。それから立って、黒塗の箪笥から袿(かけ)を出して女に被(き)せた。派手な竪縞(たてじま)のお召縮緬(めしちりめん)に紫繻子(じゅす)の襟が掛けてある。この中年増が所謂(いわゆる)番新というのであろう。女は黙って手を通す。珍らしく繊(ほそ)い白い手であった。番新がこう云った。
「あなたもう遅うございますから、ちとあちらへ」
「寝るのか」
「はい」
「己(おれ)は寝なくても好(い)い」
 番新と女とは三たび目を見合せた。女が三たびあざやかに笑った。歯が三たび光った。番新がつと僕の傍に寄った。
「あなたお足袋を」
 この奪衣婆(だついばば)が僕の紺足袋を脱がせた手際は実に驚くべきものであった。そして僕を柔かに、しかも反抗の出来ないように、襖のあなたへ連れ込んだ。
 八畳の間である。正面は床の間で、袋に入れた琴が立て掛けてある。黒塗に蒔絵(まきえ)のしてある衣桁(いこう)が縦に一間を為切(しき)って、その一方に床が取ってある。婆あさんは柔かに、しかも反抗の出来ないように、僕を横にならせてしまった。僕は白状する。番新の手腕はいかにも巧妙であった。しかしこれに反抗することは、絶待的不可能であったのではない。僕の抗抵(こうてい)力を麻痺(まひ)させたのは、慥(たしか)に僕の性欲であった。
 僕は霽波に構わずに、車を言い附けて帰った。小菅の内に帰って見れば、戸が締まって、内はひっそりしている。戸を叩くと、すぐにお母様が出て開けて下すった。
「大そう遅かったね」
神戸風俗
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2005年12月26日

僕の車は霽波の車の跡に続いた

霽波は振り返り振り返りして、僕の車を監視している。
 僕は再び脱走を試みようとはしなかった。僕が強(し)いて争ったなら、霽波もまさか乱暴はしなかったのだろう。しかし極力僕を引張って行こうとしたには違ない。僕は上野の辻で、霽波と喧嘩をしたくはない。その上僕には負けじ魂がある。僕は霽波に馬鹿にせられるのが不愉快なのである。この負けじ魂は人をいかなる罪悪の深みへも落しかねない、頗(すこぶ)る危険なものである。僕もこの負けじ魂の為めに、行きたくもない処へ行くことになったのである。それから僕を霽波に附いて行かせた今一つのfactor のあるのを忘れてはならない。それは例の未知のものに引かれる Neugierde である。
 二台の車は大門に入った。霽波の車夫が、「お茶屋は」と云うと、霽波が叱るように或る家の名をどなった。何でも Astacidae 族の皮の堅い動物の名である。
 十二時を余程過ぎている。両側の家は皆戸を締めている。車は或る大きな家の、締まった戸の前に止まった。霽波が戸を叩くと、小さい潜戸(くぐりど)を開けて、体の恐ろしく敏速に伸屈(のびかがみ)をする男が出て、茶屋がどうのこうのと云って、霽波と小声で話し合った。暫(しばら)く押問答をした末に、二人を戸の内に案内した。
 二階へ上ると、霽波はどこか行ってしまった。一人の中年増(ちゅうどしま)が出て、僕を一間に連れ込んだ。
 細長い間(ま)の狭い両側は障子で、廊下に通じている。広い側の一方は、開き戸の附いた黒塗の箪笥(たんす)に、真鍮(しんちゅう)の金物を繁く打ったのを、押入れのような処に切り嵌(は)めてある。朱塗の行燈の明りで、漆と真鍮とがぴかぴか光っている。広い側の他の一方は、四枚の襖(ふすま)である。行燈は箱火鉢の傍に置いてあって、箱火鉢には、文火(ぬるび)に大きな土瓶(どびん)が掛かっている。
 中年増は僕をこの間(ま)に案内して置いて、どこか行ってしまった。僕は例の黒羽二重の羊羹色(ようかんいろ)になったのを着て、鉄の長烟管を持ったままで、箱火鉢の前の座布団の上に胡坐(あぐら)をかいた。
 神田で嫌(いや)な酒を五六杯飲ませられたので、咽(のど)が乾く。土瓶に手を当てて見ると、好い加減に冷えている。傍に湯呑のあったのに注いで見れば、濃い番茶である。僕は一息にぐっと飲んだ。
 その時僕の後(うしろ)にしていた襖がすうと開いて、女が出て、行燈の傍に立った。芝居で見たおいらんのように、大きな髷(まげ)を結って、大きな櫛笄(くしこうがい)を挿して、赤い処の沢山ある胴抜(どうぬき)の裾を曳(ひ)いている。目鼻立の好い白い顔が小さく見える。例の中年増が附いて来て座布団を直すと、そこへすわった。そして黙って笑顔をして僕を見ている。僕は黙って真面目な顔をして女を見ている。
 中年増は僕の茶を飲んだ茶碗に目を附けた。
「あなたこの土瓶のをあがったのですか」
「うむ。飲んだ」
北陸風俗
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2005年12月25日

僕は車を雇って、

霽波の車に附いて行った。神田明神の側の料理屋に這入った。安斎は先へ来て待っていた。酒が出る。芸者が来る。ところが僕は酒が飲めない。安斎も飲めない。霽波が一人で飲んで一人で騒ぐ。三人の客は、壮士と書生との間(あい)の子という風で、最も壮士らしいのが霽波、最も普通の書生らしいのが安斎である。二人は紺飛白(こんがすり)の綿入に同じ羽織を着ている。安斎は大人しいが気の利(き)いた男で、霽波と一しょには騒がないまでも、芸者と話もする。杯の取遣(とりやり)もする。
 僕は仲間はずれである。その頃僕は、お父様の国で廉(かど)のある日にお着なすった紋附の黒羽二重のあったのを、お母様に為立て直して貰って、それが丈夫で好いというので、不断着にしていた。それを着たままで、霽波に連れられて出たのである。そして二尺ばかりの鉄の烟管(きせる)を持っている。これは例の短刀を持たなくても好くなった頃、丁度烟草(たばこ)を呑み始めたので、護身用だと云って、拵えさせたのである。それで燧袋(ひうちぶくろ)のような烟草入から雲井を撮(つま)み出して呑んでいる。酒も飲まない。口も利かない。
 しかしその頃の講武所芸者は、随分変な書生を相手にし附けていたのだから、格別驚きもしない。むやみに大声を出して、霽波と一しょに騒いでいる。
 十一時半頃になった。女中がお車が揃(そろ)いましたと云って来た。揃いましたは変だとは思ったが、左程(さほど)気にも留めなかった。霽波が先に立って門口に出て車に乗る。安斎も僕も乗る。僕は「大千住の先の小菅だよ」と車夫に言ったが、車夫は返詞をせずに梶棒(かじぼう)を上げた。
 霽波の車が真先に駈け出す。次が安斎、殿(しんがり)が僕と、三台の車が続いて、飛ぶように駈ける。掛声をして、提灯(ちょうちん)を振り廻して、御成道(おなりみち)を上野へ向けて行く。両側の店は大抵戸を締めている。食物店の行燈(あんどん)や、蝋燭なんぞを売る家の板戸に嵌(は)めた小障子に移る明りが、おりおり見えて、それが逆に後へ走るかと思うようだ。往来の人は少い。偶々(たまたま)出逢う人は、言い合せたように、僕等の車を振り向いて見る。
 車はどこへ行くのだろう。僕は自分の経験はないが、車夫がどこへ行くとき、こんな風に走るかということは知っている。
 広小路を過ぎて、仲町へ曲る角の辺に来たとき、安斎が車の上から後に振り向いて、「逃げましょう」と云った。安斎の車は仲町へ曲った。
 安斎は遺伝の痼疾(こしつ)を持っている。体が人並でない。こんな車の行く処へは行かれないのである。
 僕は車夫に、「今の車に附いて行け」と云った。小菅に帰るには、仲町へ曲ってはだめであるが、とにかく霽波と別れさえすれば、跡はどうでもなると思ったのである。僕の車は猶予しながら、仲町の方へ梶棒を向けた。
 この時霽波の車は一旦三橋を北へ渡ったのが、跡へ引き返してきた。霽波は車の上から大声にどなった。
「おい。逃げては行けない」
鹿児島風俗
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2005年12月24日

翌日それを第一面に載せた新聞が届く

夜になって届いた原稿であるから、余程の繰合せをしてくれたものだということは、僕は後に聞いた。霽波の礼状が添えてある。
 この新聞は今でもどこかにしまってある筈だが、今出して見ようと思っても、一寸見附からない。何でも余程変なものを書いたように記憶している。頭も尻尾(しっぽ)もないような物だった。その頃は新聞に雑録というものがあった。朝野(ちょうや)新聞は成島柳北(なるしまりゅうほく)先生の雑録で売れたものだ。真面目な考証に洒落(しゃれ)が交る。論の奇抜を心掛ける。句の警束を覗(ねら)う。どうかするとその警句が人口に膾炙(かいしゃ)したものだ。その頃僕は某教授に借りて、Ecksteinの書いた feuilleton の歴史を読んでいたので、先ず雑録の体裁で、西洋の feuilleton の趣味を加えたものと思って書いて見たのだ。
 僕の書いたものは、多少の注意を引いた。二三の新聞に尻馬に乗ったような投書が出た。僕の書いたものは抒情的な処もあれば、小さい物語めいた処もあれば、考証らしい処もあった。今ならば人が小説だと云って評したのだろう。小説だと勝手に極めて、それから雑報にも劣っていると云ったのだろう。情熱という語はまだ無かったが、有ったら情熱が無いとも云ったのだろう。衒学(げんがく)なんという語もまだ流行(はや)らなかったが、流行っていたらこの場合に使われたのだろう。その外、自己弁護だなんぞという罪名もまだ無かった。僕はどんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思う。それは人生が自己弁護であるからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。木の葉に止まっている雨蛙は青くて、壁に止まっているのは土色をしている。草むらを出没する蜥蜴(とかげ)は背に緑の筋を持っている。沙漠の砂に住んでいるのは砂の色をしている。Mimicry は自己弁護である。文章の自己弁護であるのも、同じ道理である。僕は幸(さいわい)にそんな非難も受けなかった。僕は幸に僕の書いた物の存在権をも疑われずに済んだ。それは存在権の最も覚束ない、智的にも情的にも、人に何物をも与えない批評というものが、その頃はまだ発明せられていなかったからである。
 一週間程立って、或日の午後霽波が又遣って来た。社主が先日書いて貰ったお礼に馳走をしたいというのだから、今から一しょに来てくれろと云う。相客は原口安斎(はらぐちあんさい)という詩人だけで、霽波が社主に代って主人役をするというのである。
札幌風俗
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2005年12月23日

「そりゃあこうだ

僕は社で話をした。勿論君に何も言わない前から、社で話をしていたのだ。僕が仙珠吟社(せんじゅぎんしゃ)へ請待(しょうだい)せられて行って、君に逢ったというと、社長を始め、是非君に何か書かせてくれろと云う。僕は何とも思わずに受け合った。そこで君に話して見ると、なかなか君がむつかしい事を言う。それを僕が蘇張(そちょう)の舌で口説(くど)き落したのだ。それだから社に帰って、僕は得意で復命したのだ。読売へは誰か社のものが知らせたのだろう。それは僕には分らない。僕は荊(いばら)を負うことを辞せない。平蜘蛛(ひらぐも)になってあやまる。どうぞ書いてくれ給え」
「好いよ。書くよ。しかし僕には新聞社の人の考が分らない。僕がこれまでにない一番若い学士だとか、優等で卒業したとかいうので、新聞に名が出た。そいつにどんな物を書くか書かせて見ようというような訣(わけ)だろう。そこで僕の書くものが旨(うま)かろうが、まずかろうが、そんな事は構わない。Sensation は sensation だろう。しかしそういうのは、新聞経営者として実に短見ではあるまいか。僕の利害は言わない。新聞社の利害を言うのだ。それよりは黙って僕の匿名で書いたものを出してくれる。それがまずければそれなりに消滅してしまう。いくらまずくても、何故あんなものを出したかと、社が非難せられる程の事もあるまい。万一僕の書いたものが旨かったら、あれは誰だということになるだろう。その時になって、君の社で僕を紹介してくれたって好いではないか。そこで新聞社に具眼の人があって、僕を発見したとなれば、社の名誉ではないか。僕はそう旨く行こうとは思わない。しかし文学士何の某(なにがし)というような名ばかりを振り廻すのが、社の働でもあるまいと思うから言うのだ」
「いや。君の言うことは一々尤(もっとも)だ。しかしそんな話は、戦国の人君に礼楽を起せというようなものだねえ」
「そうかねえ。新聞社なんというものは存外分らない人が寄っているものと見えるねえ」
「いやはや。これは御挨拶だ。あははははは」
 こんな話をして霽波は帰った。僕は霽波が帰るとすぐに机に向って、新聞の二段ばかりの物を書いて、郵便で出した。こんな物を書くに、推敲(すいこう)も何もいらないというような高慢も、多少無いことは無かった。
西川口風俗
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2005年12月22日

同じ年の冬の初であった。

来年はいよいよ洋行が出来そうだという噂がある。相変らず小菅の内にぶらぶらしている。
 千住に詩会があって、会員の宅で順番に月次会(つきなみかい)を開く。或日その会で三輪崎霽波(みわざきせいは)という詩人と近附になった。その霽波が云うには、自分は自由新聞の詞藻欄(しそうらん)を受け持っているが、何でも好いから書いてくれないかと云う。僕はことわった。しかし霽波が立って勧める。そんなら匿名(とくめい)でも好いかと云うと、好いと云う。僕は厳重に秘密を守って貰うという条件で承知した。
 その晩帰って何を書いたら好かろうかと、寝ながら考えたが、これという思付もない。翌日は忘れていた。その次の朝、内で鈴木田正雄時代から取っている読売新聞を見ると、自分の名が出ている。哲学科を優等で卒業した金井湛氏は自由新聞に筆を取られる云々(しかじか)と書いてある。僕は驚いて、前々晩の事を思い出した。そしてこう思った。僕は秘密を守って貰う約束で書こうと云った。その秘密を先方が守らない以上は、書かなくても好いと思った。
 そうすると霽波から催促の手紙が来る。僕は条件が破れたから書かないと返詞をする。とうとう霽波が遣(や)って来た。
「どうも読売の一条は実に済まなかった。どうかあの一条だけは勘弁して、書いてくれ給え。そうでないと、僕が社員に対して言を食(は)むようになるから」
「ふむ。しかし僕があれ程言ったのに、何だって君は読売なんぞに吹聴(ふいちょう)するのだ」
「僕が何で吹聴なんかをするものかね」
「それではどうして出たのだ」

沖縄風俗
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2005年12月21日

帰道に安中が決答を促したが

僕は何とも云うことが出来ない。それは自分でも分らないからである。僕はお嬢さんを非常な美人とは思わない。しかし随分立派なお嬢さんだとは思っている。品格はたしかに好い。性質は分らないが、どうもねじくれた処なぞが有りそうにはない。素直らしい。そんなら貰いたいかと云うと、少しも貰いたくない。嫌では決してない。若(も)し自分の身の上に関係のない人であって、僕が評をしたら、好な娘だと云うだろう。しかしどうも貰う気になられない。なる程立派なお嬢さんだが、あんなお嬢さんは外にもあろう。何故あれを特に貰わねばならないか分らないなどと思う。そんな事を考えては、娵に貰う女はなくなるだろうと、自ら駁(ばく)しても見る。しかしどうも貰う気になられない。僕は、こんな時に人はどうして決心をするかと疑った。そして、或は人は性欲的刺戟を受けて決心するのではあるまいか。それが僕には闕(か)けているので、好いとは思っても貰いたくならないのではないかと思った。僕が何か案じているのを安中は見て取って、「いずれ改めて伺います」と云って、九段の上で別れた。
 内へ帰ると、お母様が待ち受けて、どうであったかとお問なさる。僕は猶予(ゆうよ)する。
「まあ、どんな御様子な方だい」
「そうですねえ。容貌端正というような嬢さんです。目が少し吊(つ)り上がっています。着物は僕には分らないが、黒いような色で、下に白襟(えり)を襲(かさ)ねていました。帯に懐剣を挿(さ)していても似合いそうな人です」
 僕のふいと言った形容が、お母様にはひどくお気に入った。懐剣を持っていそうなと云うのが、お母様には頼もしげに思われるのである。そこで随分熱心に勧められる。安中も二三度返詞を聞きに来る。しかし僕はついつい決答を与えずにしまった。
 程経てこのお嬢さんは、僕の識っている宮内省の役人の奥さんになられたが、一年ばかりの後に病死せられた。

韓国風俗
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2005年12月18日

「この二人のさまの殊(こと)なるは

早くわが目を射(い)き。人を人ともおもはぬ、殆(ほとんど)憎げなる栗うり、やさしくいとほしげなるすみれうり、いづれも群(むれ)ゐる人の間を分けて、座敷の真中(まなか)、帳場(ちょうば)の前あたりまで来し頃、そこに休みゐたる大学々生らしき男の連れたる、英吉利種(イギリスだね)の大狗(おおいぬ)、いままで腹這(はらば)ひてゐたりしが、身を起して、背をくぼめ、四足(よつあし)を伸ばし、栗箱に鼻さし入れつ。それと見て、童の払ひのけむとするに、驚きたる狗、あとに附きて来し女の子に突当れば、『あなや、』とおびえて、手に持ちし目籠とり落したり。茎(くき)に錫紙(すずがみ)巻きたる、美しきすみれの花束、きらきらと光りて、よもに散りぼふを、好(よ)き物得つと彼(かの)狗、踏みにじりては、※(くわ)へて引きちぎりなどす。ゆかは暖炉(だんろ)の温(ぬく)まりにて解けたる、靴の雪にぬれたれば、あたりの人々、かれ笑ひ、これ罵(ののし)るひまに、落花狼藉(らっかろうぜき)、なごりなく泥土に委(ゆだ)ねたり。栗うりの童は、逸足(いちあし)出(いだ)して逃去り、学生らしき男は、欠(あく)びしつつ狗を叱(しっ)し、女の子は呆(あき)れて打守(うちまも)りたり。この菫花うりの忍びて泣かぬは、うきになれて涙の泉涸(か)れたりしか、さらずは驚き惑(まど)ひて、一日の生計(たつき)、これがために已(や)まむとまでは想到(おもいいた)らざりしか。しばしありて、女の子は砕(くだ)けのこりたる花束二つ三つ、力なげに拾はむとするとき、帳場にゐる女の知らせに、ここの主人(あるじ)出でぬ。赤がほにて、腹突きいだしたる男の、白き前垂したるなり。太き拳(こぶし)を腰にあてて、花売りの子を暫し睨(にら)み、『わが店にては、暖簾師[#「暖簾師」の右側に(のれんし)、左側に(ハウジイレル)とルビ、45-5]めいたるあきなひ、せさせぬが定(さだめ)なり。疾(と)くゆきね。』とわめきぬ。女の子は唯(ただ)言葉なく出でゆくを、満堂の百眼(ひゃくまなこ)、一滴(ひとしずく)の涙なく見送りぬ。」

福岡風俗
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「この二人のさまの殊(こと)なるは

早くわが目を射(い)き。人を人ともおもはぬ、殆(ほとんど)憎げなる栗うり、やさしくいとほしげなるすみれうり、いづれも群(むれ)ゐる人の間を分けて、座敷の真中(まなか)、帳場(ちょうば)の前あたりまで来し頃、そこに休みゐたる大学々生らしき男の連れたる、英吉利種(イギリスだね)の大狗(おおいぬ)、いままで腹這(はらば)ひてゐたりしが、身を起して、背をくぼめ、四足(よつあし)を伸ばし、栗箱に鼻さし入れつ。それと見て、童の払ひのけむとするに、驚きたる狗、あとに附きて来し女の子に突当れば、『あなや、』とおびえて、手に持ちし目籠とり落したり。茎(くき)に錫紙(すずがみ)巻きたる、美しきすみれの花束、きらきらと光りて、よもに散りぼふを、好(よ)き物得つと彼(かの)狗、踏みにじりては、※(くわ)へて引きちぎりなどす。ゆかは暖炉(だんろ)の温(ぬく)まりにて解けたる、靴の雪にぬれたれば、あたりの人々、かれ笑ひ、これ罵(ののし)るひまに、落花狼藉(らっかろうぜき)、なごりなく泥土に委(ゆだ)ねたり。栗うりの童は、逸足(いちあし)出(いだ)して逃去り、学生らしき男は、欠(あく)びしつつ狗を叱(しっ)し、女の子は呆(あき)れて打守(うちまも)りたり。この菫花うりの忍びて泣かぬは、うきになれて涙の泉涸(か)れたりしか、さらずは驚き惑(まど)ひて、一日の生計(たつき)、これがために已(や)まむとまでは想到(おもいいた)らざりしか。しばしありて、女の子は砕(くだ)けのこりたる花束二つ三つ、力なげに拾はむとするとき、帳場にゐる女の知らせに、ここの主人(あるじ)出でぬ。赤がほにて、腹突きいだしたる男の、白き前垂したるなり。太き拳(こぶし)を腰にあてて、花売りの子を暫し睨(にら)み、『わが店にては、暖簾師[#「暖簾師」の右側に(のれんし)、左側に(ハウジイレル)とルビ、45-5]めいたるあきなひ、せさせぬが定(さだめ)なり。疾(と)くゆきね。』とわめきぬ。女の子は唯(ただ)言葉なく出でゆくを、満堂の百眼(ひゃくまなこ)、一滴(ひとしずく)の涙なく見送りぬ。」

福岡風俗
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